ベトナム駐在時、2016年2月22日に書いた手記です。
その後、ホーチミン市でかけがえのない釣り仲間達と出会い、毎週のようにバラマンディを追い求め、様々なドラマが生まれた。ベトナム赴任時に思い描いていた釣りが出来ていることは本当に幸せなことだと思う。小さな夢を叶えていけば、やがて大きな夢も実現できるはず。今は求める道の先は必ず開けると心から信じている。
そんな仲間との出会いにもいきさつがある。
セオムのおばちゃんのお陰で釣り堀は見つかったが、やはり天然のバラマンディが釣りたかった。まだ出張ベースでホテル暮らしだったが、いつかの機会に備えパックロッドを買った。バックパックにロッド、リール、ひと通りのルアー、メジャー、ツール類を収めスーツケースに忍ばせる。人知れず気分は流行りの怪魚ハンターだ。どこで何が釣れるのかもわからないが、ルアーを眺めて妄想すればワクワクできる。
今回宿泊のホテルは日本人街の近くだった。仕事場のオフィスからは徒歩圏内。連日上司と飲んだ後、フラフラとホテルに戻っていく私の姿を注意深く観察している男がいた。
ある晩、その男からホテル前で日本語で声をかけられる。「お兄さん、いいオンナいるよ」。ニコニコと話しかけてくるその男はポン引きらしからぬ雰囲気があり、路上で立ち話をした。毎晩同じ場所に立ち、旅行客をターゲットにオンナを紹介しているという。バックマージンが10%入るらしい。彼はipadを持ち、いいオンナの写真をみせる。客が気に入ったオンナがいればすぐにLINEアプリで直接連絡をとる。随分ハイテクな商法に恐れ入った。オンナは複数のポン引き紹介ネットワークを持ち、客をとる仕組みだ。そして彼らには縄張りがある。ボスに金を払って路上に立つ。通りの一角はその男と取り巻き数人が常駐し、めぼしい客を見つけるために目を光らせていた。
私にオンナを買う気がないことがわかった後は、無理に紹介してくることはなかった。毎晩仕事帰りに顔をあわせるので会話も増えていく。ある日彼の奥さんを紹介された。彼女はホテルのフロントで働いた経験があり、日本語が少し喋れる。私が日本人で嬉しかったのか、陽気にぺらぺら話しかけてくれる。勤勉な雰囲気の彼女も「お兄さん、オンナほしい?」なんて言うから仰天した。
ポン引きの仲間達の中にガム売りの女の子がいた。英語をネイティブ並みの発音で話すので驚いたが、ベトナム語でも字は全然書けないのだという。16歳。彼女の弟が自転車で現れた。同じくガム売りで、生計を立てているというが、弟はぐうたらで彼女が面倒を見ているという。昔から同じ通りで十何年もストリートチルドレンをしてきたという彼女は、体を売ることを断固拒否してきたので、今でもガムを売る。仕入先はコンビニで、酒場の前で酔客を出待ちして、倍の値段で売るらしい。それでは生計が立たないと思い突っ込んで聞いてみると、本業はやはりオンナのあっせん業。ガムを売って公安に目をつけられないようカモフラージュしているようだ 。
ある仕事帰りの晩、いつものポン引きの兄ちゃんからビールを飲もうと誘われた。ホテルの前のコンビニで缶ビールを買って、いつもの仲間に手渡す。私もご馳走になった。若い男が数人集まり、彼らと並んで座った。ビール片手に通りを歩く観光客を眺めた。たまに兄ちゃんが立ち上がり、声を掛けにいく。客は捕まらないが、特に焦りもない様子。
日本人が珍しいのか話を振ってくれる。いつもの癖で「趣味は釣りです」と切り出してみた。もし相手も釣りが好きであれば、このワンキャストだけで友達になれる。普段接点がない会社の先輩でも、釣り好きであればそれだけで話は弾み、一気に親交を深めることができる。そんな魔法の言葉はなんとベトナムでも通じた、「俺もだ!」。
ベトナムでは魚を良く食べる。川魚、海魚、貝、カニ、エビなんでもござれ。それが理由なのか、他に娯楽が少ないからか、キャッチ&イートの餌釣りは非常に盛んだ。川に架かる橋を渡れば、大抵バイクを脇に止めて竿を出している釣り人に出会えるのがここホーチミン市。
自分のiPhoneのアルバムを開き過去に釣った写真を見せると、ジタバグを咥えたナマズに興味深々の様子。これは何だというので、ホテルの自室から釣り道具が入ったバックパックを持ち出し、ボックスの中のルアーを彼らに見せてみた。
皆一斉に大笑いした。釣れるわけないとバカにしているわけではなく、こんなプラスチックのおもちゃで魚が釣れるということを生まれて初めて知り、それが本当に可笑しいみたいだ。ひとしきりルアーを観察し終えると、皆感心した様子だった。思いがけない反応に嬉しくなり、彼らにルアーを一つづつプレゼントした。ポン引きの兄ちゃんには予備に持ってきていた古いベイトリールを、欲しそうにしていたのであげることにした。
別れ際、週末一緒に釣りに行こうと誘ってくれた。いつものポン引きの兄ちゃんと、若く物静かだけど釣り好きな、刺青を両腕に入れた青年と待ち合わせ時刻まで約束した。バイクで迎えにきてくれるらしい。ついに天然バラへの道が開けるかとドキドキした。
そして金曜日、仕事終わりにいつものように上司と帰宅前の一杯を引っ掛けていた。上司と私は新規事業を立ち上げるべくベトナムに来た、たった二人の赴任者である。得体の知れないベトナムで手探りの業務に二人三脚でもがき苦しんだ。実は上司は日本本社の経営者で、国内市場の縮小と会社の将来を想い自らベトナムにたった一人で乗り込んだ男だ。私は社会人ペーペーであったにもかかわらず、過去の海外経験でたまたま培った英語を武器に、約1年前から孤軍奮闘していた上司の言語サポート役で急遽赴任したのである。
上司は酒で酔いがまわると、よく若かりし頃のヤンチャを超えたヤンチャ話をする。武術にも長け怖いものはないが、唯一ベトナムではよく見かけるヤモリを恐れる、そんな破天荒な彼にポン引き兄ちゃんに釣り場を案内してもらうことを話してみた。
「…….. 。」意外なことに上司の表情が固まった。止めたほうが良いという話になった。上司は単独渡越の時から知り合った数々の日本人が口を揃え「どんなによくても絶対ベトナム人を信用してはいけない」と再三聞かされてきた。悲しいことだが、日本人の一般常識では何が起こるか予想できない国であることは事実だ。想像を絶する異次元の国。汚職、不正、賄賂、詐欺は常。確かに私も不安がないわけでは無かった。
上司という立場では部下のリスクマネージメントという責務がついて回る。これも勉強だと思い、申し訳ない気持ちを胸に翌朝の釣りの約束を泣く泣く断った。そして数日後、ホテルから離れて郊外のアパートに入居した。しばらくして妻子を呼び寄せ新生活が始まった。ポン引きの兄ちゃん達は今頃どうしているかな。結局ベイトキャストの手ほどきができなくてごめんなさい。
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