ベトナム駐在時、2016年2月22日に書いた手記です。
昨日バラマンディとチヌを釣った。数年ぶりに魚を捌いて刺身を食した。感動のうまさを噛み締めながら、ふと釣った魚を食べる醍醐味をしばらく忘れていたことに気づいた。
ベトナムでは約二ヶ月ぶりの釣行だ。旧正月が明け、初釣りの思いがけない収穫を記念して、釣り生活をベースとした手記を始めることにする。いつかやりたいと思っていたこと。情報発信を通じて、世界中の釣り人との新たな出会いが生まれることを願って。
私はサラリーマン4年生、辞令を受けベトナムに赴任してきて約2年になる。日本ではジタバグでナマズをよく釣っていたから、ベトナム=メコンオオナマズ=ルアーで怪物ゲットだぜ、そんな甘いステレオタイプな妄想を抱いてホーチミン市に移り住んだ。
今は妻子とアパートに住んでいるが、初めは出張ベースのホテル暮らしだった。そして右も左もわからない街で、釣り場探しが始まった。もちろん平日は仕事に励んだ。
赴任からひと月たち、新しい土地と生活に慣れてきたとある休日、市内を流れる大きな川に目をつけた。私の単純な脳内はベトナム=メコンオオナマズ、だったのでメコン川かと勘違いしていたが、サイゴン川というホーチミン市を象徴する川だ。
願わくばターゲットはバラマンディ。当時まだ釣ったこともなかったが、河口まで近いため、きっと遡上してきているだろう、と都合良く考えた。街を散策中にたまたま流暢な日本語で声をかけてきたセオム(バイクタクシー)の兄さんに釣り場を教えてくれと試しに頼んでみた。なんといきなり案内してくれることになった。それも釣り好きらしい。ラッキー、意気揚々バイクにまたがる。
着いた場所は市内のメコン川と支流の合流地点。たしかに数人の釣り人が水路に竿を出していた。ベトナム語はわからないが、iPhoneを駆使して彼らにナマズやら雷魚の写真を見せて釣れるのか聞いてみた。曖昧な返事だった。きっと釣れないのだろう。
するとセオムの兄さんが「俺の姉さんは大の釣り好きだから、案内してもらえ」と提案してきた。釣り好きの姉さん?これはまたまたラッキー、とバイクにまたがる。到着。見覚えのある場所は戦争証跡博物館。ここで姉さんと運転交代するらしい。
姉さんがきた。どう見ても兄妹に見えない。おまけに言葉はほぼ通じない。大丈夫か、一気に緊張する。ニコニコ元気なおば(あ?)ちゃんは、躊躇する私を後ろに乗せ目的地も知らせぬままエンジンを吹かした。値段交渉もままならず、ええいどこにでも連れて行ってくれ、と半ばヤケクソで風に吹かれた。
ホーチミン市のはずれにバイクを飛ばしていく。幸いiPhoneでマップが見られるため不安はないが、だんだん車がまばらになり、タクシーすら見当たらない細いデコボコ道を抜ける頃はさすがに心細く感じた。
通りは屋外レストランが並んでいた。どうやらこれから釣り堀に案内されるようだ。狙いは天然バラだったが、まあよい。ものは試しということでおばちゃんに連れられて入り口をくぐると人工池のまわりに小屋が並び、カップルや家族連れが釣り糸を垂らし、飲み食いをしていた。
実は釣り堀レストランは経験済み。私は高校生の頃に家族でベトナムのハノイ市に住んでおり、遊びでルアーを投げたことが数回。その当時釣れたことは一度も無い。日本から引っ越した際に父のゴルフバッグに忍び込ませたバスロッドは、結局一匹のローカル魚をかけることもなく、そして釣りの代わりに音楽に目覚めた私はエレキギターに夢中になり、釣りとは無縁のハノイ生活を送ることとなった。その後、また訳あって釣り熱が再燃するのだが、そんな過去がありベトナムで魚を釣りあげることは、回りまわって運命の、悲願の目標の一つであった。
さて、釣り人客の様子を伺うと基本的には竹竿に餌の活きコオロギで釣っているようだ。自前の道具を持ち込んだ家族連れは、大きめのスピニングリールでブッコんだ仕掛けで50cmオーバーのエレファントフィッシュを釣り上げ、記念撮影をしていた。私も早速竹竿とコオロギを手渡され、見よう見まねでやってみた。ウキは何度かヒョコヒョコ動いたが、沈むことなく結局ボウズに終わった。まぁ、ビールを数本飲めて楽しめたかな。
帰り道、釣果はなくても釣り場探しを達成した充実感いっぱいになり、ほろ酔い気分でバイクに揺られ夕日を眺めていた時だった。なぜか私の太ももに手が添えられた。そしておばちゃんが後ろにまたがる私の耳元でささやく。「マッサージしてあげるよ?」ええっ、まさかの夕マズメで高活性!?
予想外の怪物のスーパーバイトに固まったが、さすがにビッグママを釣りあげる竿もタマも持ち合わせていない。セオムの兄さんがいう、「釣り好きの姉さん」はあながち嘘じゃなかった、まさか自分が釣られそうになるとは。
いやだって言ってるのにしつこい。断った末、なんとおばちゃんの娘は若くて綺麗だよと勧めてきた。ええー、娘まで売り物かいな。さらに、途中路地で停車したかと思えば、連れて行かれたのは釣り場ではなく民家。中に占い師がいて、しきりに占いを勧められる。どうせ言葉わからないよ!
さらにホテルまで送ってくれるはずが、不安的中、先ほどの戦争証跡博物館で降ろされた。実はここは外国人観光客目当ての強引な客引きで有名な場所。予想通りおばちゃんはそそくさと逃げて、怖そうなお兄さんたちに取り囲まれる。セオム代金半日分+釣り堀など案内代金約5,000円を請求され、諦めて支払った。つけてる時計もよこせ、なんて言われて本当に参った。
苦い思い出だが、何故こんな話を書いたのか、それは昨日釣れた魚は様々な過去のいきさつがあったからこそ、出会えた魚だと思ったからだ。そして自分の努力だけでなく、家族や仲間の支えが土台にあったからこそ。
今日の一匹は、明日のもっとデカイ一匹を釣るための糧になる。だったら何気なくすぎていく毎日だって、もっと意義深く過ごせるはず。
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